ミニ情報② 16世紀ころの子育て事情

16~17世紀ころ日本を訪れた西洋人は次のような書物を書き残しているそうです(渡辺京二著「逝きし世の面影」平凡社、2005年、392ページ)。

ポルトガル人のカトリック司祭で、織田信長や豊臣秀吉らと会見し「日本史」を著したルイス・フロイス(1563年来日、1597年長崎で死没)は、「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことはめったにおこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである。」と述べている。16世紀末から17世紀初頭にかけて主に長崎に住んでいたイスパニア商人アビラ・ヒロンは「子供は非常に美しくて可愛く、6、7歳で道理をわきまえるほどすぐれた理解力をもっている。しかしその良い子供でも、それを父や母に感謝する必要はない。なぜなら父母は子供を罰したり、教育したりしないからである。」日本人は刀で人の首をはねるのは何とも思わないのに、「子供たちを罰することは残酷だと言う。」と述べている。オランダ長崎商館の館員であったツュンベリは「注目すべきことに、この国ではどこでも子供を鞭打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも(乗船した)船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった。」と述べ、同じく館員のフィッセルも「日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである。」と述べている。

16世紀ころと現代とでは、社会も人々の意識も経済も法制度も著しく異なっていますが、日本では子どもに対する身体的虐待はほとんどなかったかのように描かれています。それを見た西洋人は感嘆の言葉を書きつづっているようです。